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私の中にはきょどちゃんが住んでいます。

人との関係性の中で、不意に出てきてしまう挙動不審な子です。

トリガーになるきっかけがあるのですが、例えば誰かに好意を持たれると、過剰に意識してしまい、普段の自分でいられなくなってしまいます。
人からどう思われるとか、そんなことどうでもいいんだ!と、頭で理解して消そう消そうとすればするほど存在感はどんどん増して、どうすることもできなくなってしまうのです。

なので、できるだけ人に好かれないように目立たないようにしてしまったり、たくさん人が集まるところからさっと身をひいてしまったりと自分に制限をかけてしまうことを無意識にやってしまいます。

この年末ブログを書くことを目標にしていたら、このあんまりありがたくない存在のきょどちゃんについて向き合う必要性を感じ、ここ数日掘り下げていました。

さながら心の大掃除です。いろいろ思い起こして、つながる記憶が出てきたので、幼少の頃のことから振り返ってみます。

 

お腹の中にいた頃より、母は4,5才の年子の息子を抱え、父は全く家庭を顧みないひとで、どんなに訴えても休日に釣りに行ってしまって、ほとんどひとりで子育てをしたそうです。 私が生まれる直前、母は大きなおなかに大きな荷物を抱え、スーパーから帰る途中に切迫早産で急遽入院となりましたが、父はそれでも帰ってきてくれず、小さな子供たちを家に残してはおけないと強引に退院して帰ったその日に生まれました。
原始反射を色濃く残し、これまでの人生は時に生きづらく、ときに仲間に恵まれ最高に楽しく、いろいろな経験をしてきたなと思います。
「私はひとりぼっち」「私はみてもらえない」を
母と、そのまた祖母(沖縄戦で祖父を亡くし女手一つで5人の子どもたちをヨイトマケのように育てました。)からも受けつぎました。
小学生のころ、不足感からか母のお財布からお金をとってガチャガチャを袋いっぱいになるまでやったことを思い出します。

ものごころつくころからアイドルに憧れて、鏡の前でマイクをもち、一日中ぶりっ子ポーズをしている子でした。
幼稚園に入ると「中村阿沙子ちゃん」は近所ではみんなが知っているようなかわいい容姿をしていたそうです。
注目を集めてしまうし、自分でも華やかな世界に憧れていました。
まだ3~4歳のころに、”かわいい子がいる”と近所にあった日活撮影所から子役として出てほしいとスカウトが来たそうです。私が寝ているときで、「眠いからいやだ。」言ってと断ったと後から母に聞きました。

母は、若いころの写真をみると目を惹く美人でした。
沖縄の時計店で勤めていた時に、撮影に来ていた高倉健が「久ちゃん、久ちゃん」と連日通ってきたと。
その数年後、母が日活撮影所の近くに住んでいることを聞きつけ、撮影後のパーティーでお花を贈呈してほしいと遣いの人が頼みに来たそうです。表に出ることが嫌いだった母は断りました。
それなのに私がうまれると、”中村阿沙子ちゃんのお母さん”と呼ばれることが嫌だったと言っていました。
私が目立つとお母さんは嫌なんだという思いも芽生えたように思います。
「女優さんになりたい。」と言ったら「そんなのになりたいの?私はぜんぜんそういうの興味ない。」と言われたこともどこかでひっかかりとしてありました。

ある日、住んでいるマンションの敷地内で自転車をひとりでこいでいたところ、後ろから押してくれる男の人がいてしばらく遊んでくれました。そのあと、「あそこのトイレに入ってごらん。」とスーパーの外にあったトイレを指さされ、なんとなく嫌だなと違和感を覚えつつも、言うことを聞いてしまったらいたずらをされました。触られて、すぐに嫌だと言って外に出たのですが、「僕はここに住んでいるからまたいつでもおいで。」と言われたことを覚えています。

この出来事がじくじくとその後の人生に影を落とすことになります。

断れなかった自分にも落胆したし、”誰かに見られる”、”誰かに好意を持たれる″が徐々に身の危険=恐怖になっていくのです。

思い出すエピソードは、

中学校の体育の授業のときで、私がのびのび身体を躍らせている姿をみて、厳しくて有名なダンスの先生がダンス部にスカウトしてくださったのですが、いざ入部すると、「好意を持たれている!」と過剰に意識してしまい、部活では私らしさはひとつも表現できずに、常に意識が過剰で疲れ果て、素直な自分を出したいのに出せない、つらい思い出しかありません。

高校の受験勉強に通った地元の図書館の屋上にあった食事屋さんでも、好意を持ってくださるウエイトレスさんに意識しすぎて、行くことができなくなったこともありました。

一方で憧れは女優さんだったり、アナウンサーだったり、華やかな世界への憧れをアンビバレントに持ち続けますが、そのたびにきょどちゃんはあらわれ、ちゃんとへまをしてくれました。

高校のころ、スカウトされてモデル事務所に所属していたことがありました。
宣材写真撮影でいつになくリラックスして自分らしい写真を撮ってもらったときは、現像してくれるお店で誤ってネガを真っ黒にされてしまい、使い物にならなくなったことがあります。
これは無意識で私がそうさせたように感じています。

NHKアナウンサーの最終試験でも、「え!?その格好で行ったの?」と後からアナウンサー学校の先生に聞かれるほど、無意識に場違いな格好を選択しました。

表に出て、自分が憧れられるような立場になりたいと思いながらそれを全力で阻止してきた私の中のきょどちゃんでした。

と、ここまで振り返ることは何度か過去にしたことがあります。
以前、内面考察を2年間取り組み、自分の行動の内側の動機をとことん突き詰めることをして(これは非常につらいものでした。)なんどか、「あ!そういうことか。」と悟りのような状態になった経験がありました。
しかし数か月すると、今度は悟りの状態が”良いこと”として、理想化してしまい、また沼に入ることがありました。
悟りは、良い悪いのベクトルが消えることなのに。

私はそもそも、なぜ父が不在で、母からも不足感を受け継ぎ、痴漢にあって自分を閉じ込めていく経験をわざわざしたのでしょうか?

それは、「私はみてもらえない」という不足感が「私をみてもらいたい」という欲求を生み出し、
みてもらうのは自分でしかできないのだという気づきを得て本当の意味での自立をしたかったのではないかと考えました。

きょどちゃんがあらわれるのは、わたしがひとからどう思われるかに過剰に反応しているときです。

他者基準から→自分主権の回復

これに気づかせたくてきょどちゃんはいつも側にいてくれたのではないだろうか。

他者基準(外側への依存)から脱却するためのきょどちゃん。
自分の情熱以外にフォーカスがずれていることを伝えてくれる存在。
きょどちゃんは、相手に好かれようとしちゃう無駄な行動からも回避させてくれていた。

私の中の理想像―――ハートがオープンで好感度が良くてe.t.c.―――を無意識に立ち上げたときにいつも出現しました。

本当は、不機嫌でも、イライラしていても、感情が乱れていても、それも全部自分。素に戻っていけばよかった。

多くの人に嫌われても、非難されようと、白い目でみられようと、自分がどうしたいのか、自分をどう表現していきたいのか、外側の基準から外れて、自分の思いを大切にすることの大切さ。
そこに戻っていく。
ああ、私は人の意見や視線を完全に振り切って生きてみたいのだ。 人の期待なんて片っ端からなぎ倒して生きてみたかったんだ。
私が私の主人になる。
嫌なことは嫌と言って私が私を守るし、私が私の一番の理解者になるし、応援者になる!

自分の内なる情熱にかける時間をこれ以上奪わないで、私の中にある才能や力を最大限に引き出し、私の中にある想いに耳を傾け、選択していく力があることを思い出させるための   経験だったんだと思います。

きょどちゃんはわたしにとってありがたくない存在だと思ってきましたが、実はこんなにたくさんのメッセージをもっていた存在だったことに気づきました。
だからこのまま一緒に生きることにしました。

It makes me sad that my real self is banned and imprisoned since my childhood.

最近タイムウェーバーが分析してきたメッセージです。

外側の基準に反応してしまう古い自分を今年で終わりにして、しっかりとreal self を生きる決意をもって、この31日を過ごそうと思います。

 

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